2018年03月21日

鬼峠フォーラム2018終わりました

3月10日〜11日、12回目となる鬼峠フォーラムを開催しました。
今年はいろいろな事情があって、やるやらないの話しがありましたが、12回続いたことは、ニニウの一つの歴史になったのかなと思います。
もっともニニウにもいくつものニニウがあって、住民にとってのニニウ、工事関係者にとってのニニウなどそれぞれのニニウがあり、最近では、キャンプ場の人気が再興してまた新しいニニウの世界を作っているように思います。
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そうしたそれぞれのニニウをつないでいきたいという思いがあって、今年は建築家の下村憲一さんをお招きして講演会を実施しました。下村さんは1980年代前半に計画されたニニウ自然の国構想の立案者、占冠村サイクリングターミナル(1984年開業、2013年解体)の設計者であり、その後もしばらく「ニニウの会」のメンバーとして山菜ツアーなどでニニウに関わってこられたとのことです。
村役場の担当者として当時ニニウ自然の国構想に関わった中村博前村長にも参加をいただき、ニニウ自然の国構想が生まれた経緯や、なぜニニウでサイクリングだったのかなど、非常に興味深いお話を伺うことができました。
当時、トマムリゾートの開発対応に追われる中、なぜニニウにこれだけの力が注がれたのかというのが第一の疑問でしたが、下村さんは「みんなが大事にしたいと思う基盤がニニウにはあるのではないか」とおっしゃっていました。そういうことだったのかと、ニニウへの理解が一段深まった気がしました。
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コミュニティセンター和室での交流会のあと地域カフェ「ぼっこてぶろ」にて。ここにはサイクリングターミナル解体前に有志が持ち出した椅子が置かれています。建物はなくなっても、椅子がこうして使われているのを見てもらえるといいねなどと話していたのは昨冬のことですが、それが現実となった夢のような一幕でした。椅子はデザイナーの高橋三太郎氏の作品だそうです。
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翌日は初めてニニウ側から2代目鬼峠を越えるという企画でした。ニニウ神社の雪下ろしは予定どおり実施。9日は占冠で道の駅が床上浸水するような大雨があり、神社のあたりから生々しい鉄砲水の跡があったのですが、ニニウ四の橋から400m地点で雪崩跡に遭遇し、その先は安全が確保できないと判断して、引き返すこととなりました。これでまた来年再挑戦しないといけないことになりましたから、課題を持って終われたことはむしろ良かったように思います。
posted by onitoge at 13:05| Comment(0) | 日記

2018年03月18日

生誕200年記念武四郎まつり

前の投稿からだいぶん時間が空いてしまいましたが、24日の松浦武四郎生誕200年記念事業オープニングイベントに続き、25日は第23回武四郎まつりを訪ねました。
松阪で泊まった宿は、関係者の交流会場にもなっていたようで、朝食会場には前日登壇していたアイヌの人たちや道幹部もいて驚きました。
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武四郎まつりの会場は、松浦武四郎記念館。なかなか来る機会がなくて、初めての訪問です。伊勢中川駅からのシャトルバスは満員で、タクシーで会場入りしました。オープニングセレモニーから、溢れんばかりの人です。
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「松浦武四郎弁当」という駅弁も登場していました。武人郎鍋、武四郎コロッケ、武四郎バーム、武四郎カップあられなど、武四郎にちなむ食べ物も多数。北海道では考えられない盛り上がりです。
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前日に引き続き、静内民族文化保存会によるアイヌ古式舞踊。観光化されていない本来のアイヌの踊りを伝えていることに特徴があるそうです。アイヌの踊りもだいぶん見ましたが、たしかに他の地域の踊りと比べると、非常に地味で単調です。いまアイヌ舞踊と言われているものがいかに劇的に脚色されているかを思い知りました。ただ、これは大正以前の日本の俚謡と、作曲家によって味付けされた昭和以降の民謡などと同じ関係であるように思います。
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しかし、この三雲中学校踊り隊による「三雲音頭」はいけませんでした。歌詞にどんな風物か読み込まれているか楽しみにしていたら、歌詞が抹消された「三雲音頭ロックバージョン」なるもので、踊りはよさこいソーラン風。よりによって北海道のいちばん悪いところだけ真似するのはやめてほしいです。
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伊勢街道を少し北上し、松浦武四郎誕生地へ。
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名古屋方面と伊勢神宮を結んだ伊勢街道沿いにある、松浦武四郎の生家が本日から保存整備を終えて公開となっていました。
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松浦武四郎誕生地のすぐ北に雲出川が流れています。ここから川沿いに10kmほどさかのぼったところに明治30年まで私の曽祖父らが住んでいました。付近に北海道にはあまりない同じ苗字の人たちがたくさん住んでいるものの、交流は早くに途絶えてしまっているのですが、やはりふるさとを感じる土地でもあります。
さらに伊勢街道をしばらく歩いて紀勢本線高茶屋駅から帰路につきました。
posted by onitoge at 23:27| Comment(0) | 日記

2018年02月24日

松浦武四郎生誕200年

三重県松阪市で行われている松浦武四郎生誕200年記念事業オープニングイベントに来ています。
北海道150年、松浦武四郎生誕200年の記念すべき年を迎えるにあたり、一道民としてぜひ参加しておきたかったイベントです。
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定員500名で申し込み不要だったのですが、何と満員で開場早々から立ち見になってしまいました。
松浦武四郎が三重県でどの程度の認知度があるのかというのも一つの興味だったのですが、正直これほど慕われているというのは想定外でした。
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来賓は北海道の窪田副知事、北海道アイヌ協会の加藤理事長、テッシ・オ・ペッ賑わい創出協議会会長の加藤名寄市長、北海道命名之地がある音威子府村の佐近村長、その後、三重県鈴木知事、地元選出国会議員と続いていました。
それぞれの立場で松浦武四郎をどう見ているかがよくわかる祝辞を聞くことができたと思います。
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その後、子孫への花束贈呈、劇、トークセッション、合唱と続きました。ここでもやはり北海道よりも厚い層で、官ではなく民としての武四郎に非常に熱い思いが注がれていることを知りました。
みな、武四郎さん、武四郎先生、武四郎エカシなどと敬称で呼んでいることも印象的でした。

北海道では知名度こそあれ、こうした武四郎の郷里の人たちの思いをまったく受け止められていないように思います。
北海道でもまずは松浦武四郎の功績を史実として知るとともに、歴史上の人物としてだけではなく、その魂を心の中に蘇られていかなければなりません。

この次、北海道200年、松浦武四郎生誕250年を迎えるとき、私は91歳ですから生きているかどうかわかりませんが、今日の経験を糧にを胸に研鑽を積んでいきたいと思います。

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松阪市は初めてですが、街の中に果物屋さんが何軒もあったりして人も良く品のある街に感じました。安さや効率だけを求める街、その日食べれればよいというような街が最近増えてきたような気がしますが、こういう街に出会うとうれしいですね。
posted by onitoge at 22:56| Comment(0) | 日記