2018年06月16日

松浦武四郎関連企画展

運動会シーズンも終盤に差し掛かり、イベントが目白押しの季節がやってきました。北海道命名150年記念関連の行事も本格化しています。今日、一気に4か所を駆け巡ってみました。
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今日から富良野市生涯学習センターで始まった「松浦武四郎の十勝越えを歩く会成果巡回展」。今年3月から4月にかけ、4回、延べ6日にわたり旭川から新得まで松浦武四郎が歩いた道を踏査した成果展です。私もはじめの3回参加し、展示には私の撮った写真も使っていただいております。かなり充実した展示内容となっており、今年数多く行われている松浦武四郎関係の企画展の中でも独自色の強い内容となっていますので、多くの方々に見ていただきたいと思います。
この後、上富良野郷土館、上富良野町社会教育総合センター、美瑛町でも巡回展が行われるほか、6月23日と7月19日には、山谷圭司さんの講演会もあります。
http://furano.sub.jp/uploads/myalbum_img_m/700.pdf
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こちらは滝川の國學院大學北海道短期大学部でサマーフェスタの一環として開催されている「松浦武四郎蝦夷地を歩く」の展示。
ここの図書館には金田一京助先生が所蔵していた北方、アイヌ関係文献が寄贈されており、松浦武四郎の刊行本の現物がかなりの数展示されていました。
東西蝦夷山川地理取調図の地図もすべて揃っていました。明日6/17までの展示です。
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滝川市美術自然史館で今日から始まった「高畑利宜のイシカリ探検・アイヌ美術の世界」。松浦武四郎に次いで上川地方を探検した人物にまつわる展示です。こちらも第一級の資料が多数展示され、気合の入った企画展となっています。8/26までの開催です。
http://www.city.takikawa.hokkaido.jp/260kyouiku/05bijyutsu/05tokubetuten/2018takabatake_toshiyoshi.html
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最後は新十津川町図書館のギャラリーで開催中の北海道命名150年記念展「松浦武四郎とその時代」。明日は合田一道さんの講演会も開催されます。

國學院の展示に来ていた人たちが話していたのですが、三重県では松浦武四郎はあまり知られておらず、北海道ほど盛り上がっていないのではということ。まったく逆で、三重県全体で言うとそうかもしれませんが、松阪のように町全体が松浦武四郎で盛り上がっているところは北海道にありません。いろいろな側面のある人物ですから、それぞれどういう理解で松浦武四郎を見ているかということも、各地の展示を見る上で興味深いことです。
posted by onitoge at 23:40| Comment(0) | 日記

ペーパーポット

だいぶんご無沙汰してしまいました。例年に増してどたばたの春でしたが、庭だけは何とか季節の変化に間に合うようにやっています。今年は面積的に昨年の3分の1。このくらいのほうが楽ではあります。
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6月3日の写真。ハンジ―、ビオラは最盛期を迎えています。
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今年はじめて、葉物の種まきにペーパーポットを使ってみました。日本甜菜製糖が製造しているもので、農家でもないので使うことはないと思っていたのですが、先日ビート資料館を見学した時に紹介されて、試しにいちばん小さいタイプのものを使ってみました。
写真は播種後14日目、4月29日の定植時です。5cm間隔で定植しました。
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定植後1か月、5月31日の様子。一気に大きくなったら食べるのが大変だと思いましたが、間引きながら1か月ほど毎朝食べることができました。直播に比べると間引きが楽なので、なかなか良いものと思いました。
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根菜類は移植できないという先入観がありますが、実はカブは移植栽培が可能だと聞いて、ペーパーホットに播いてみました。確かに問題なくできるようです。
posted by onitoge at 22:56| Comment(0) | 日記

2018年03月24日

松浦武四郎の道 旭川〜新得間

松浦武四郎が蝦夷地を北海道と命名してから150年となる今年、旭川から新得まで約110キロの古道を4週連続4回に分けて歩くイベントが行われています。
https://hokkaido150.jp/mirai/2018/02/28/post-2469/
まずは第1回の神居古潭〜上川神社間に参加してきました。いまこの区画をあえて歩くことはまずないと思いますが、明治31年に鉄道が旭川に延びる前、旭川から奥に向かう開拓者たちはすべて神居古潭を歩いて通ったわけで、神居古潭をどう越えたのか非常に興味のあるところです。
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神居古潭神社前に7時30分集合。ちょうど芦別行きの路線バスで行ける時間でした。食事処の遊舎さんがミーティングに場所を提供してくださりました。
集まったのは事務局のトカチルゥチシを歩く会の山谷さん、郷土史研究家の高橋基さん、ほか共催の十勝岳ジオパーク推進協議会から1名、旭川市教育委員会から1名、上富良野町広報担当1名、メディア関係3名と私の計9名で、何と一般の参加者は私だけでした。
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実際に歩いたのは7名。富良野方面に入植した人も、距離的に近い空知川コースをとらず、歌志内まで鉄道で来たあと、旭川の神居古潭まで迂回しているわけですが、たしかに難所とはいえ、そう困難ではない道であるように思いました。
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松浦武四郎がどこを通って旭川に入ったかは一大問題のはずですが、実は近年まで詳細なルート解明がなされていなかったようで、残された記録の解釈によって、いくつかの説があるそうです。今日の検証によって、ルート推定の確度が高まることを期待します。
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春志内トンネルの脇からいよいよ山越えの区間に入ります。この区間はペンケアソナイ山道と呼ばれ、1858年に松浦武四郎がアイヌの案内で通った後、1886年に上川仮新道として開削され、岩村通俊や永山武四郎も歩いたと言われています。
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山道を抜けて台場からしばらく国道を歩き、忠別太大番屋跡の碑を見学。上川地方で最初の和人の建物と言われ、松浦武四郎の記録にもあります。
その後、ペペツと称された美瑛川下流の堤防をしばらく歩き、神楽岡にあったというクーチンコロ宅跡、シリコツネ宅跡を偲びつつ、上川神社へ。約23kmの道のりでした。

松浦武四郎は当時全道を股にかけて活躍していたアイヌの人たちを案内人としてこれらの道を歩いていたわけで、何百年という歴史のある道でもあります。鉄道や高速道路は百年後どうなっているかわかりませんが、松浦武四郎の歩いた道は人類が絶えない限り今後も残るでしょう。私たちにはこれらの道を伝えていく責任があります。
しかし、これまで定説とされてきた古道のルートやアイヌ語の由来も、実際に歩いてみると疑問が多いと言います。山谷さんは、「定説は常に検証が必要であり、検証しないのは将来の世代から見れば今の時代の怠慢」とおっしゃっていました。その言葉どおり、アイヌ語の由来や地形を丁寧に読み解くことで、これまでとまったく違う見方で旭川を見ることができた一日になりました。

この日の模様は十勝毎日新聞が伝えています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180318-00010001-kachimai-hok
posted by onitoge at 00:07| Comment(2) | 日記