2018年06月16日

ペーパーポット

だいぶんご無沙汰してしまいました。例年に増してどたばたの春でしたが、庭だけは何とか季節の変化に間に合うようにやっています。今年は面積的に昨年の3分の1。このくらいのほうが楽ではあります。
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6月3日の写真。ハンジ―、ビオラは最盛期を迎えています。
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今年はじめて、葉物の種まきにペーパーポットを使ってみました。日本甜菜製糖が製造しているもので、農家でもないので使うことはないと思っていたのですが、先日ビート資料館を見学した時に紹介されて、試しにいちばん小さいタイプのものを使ってみました。
写真は播種後14日目、4月29日の定植時です。5cm間隔で定植しました。
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定植後1か月、5月31日の様子。一気に大きくなったら食べるのが大変だと思いましたが、間引きながら1か月ほど毎朝食べることができました。直播に比べると間引きが楽なので、なかなか良いものと思いました。
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根菜類は移植できないという先入観がありますが、実はカブは移植栽培が可能だと聞いて、ペーパーホットに播いてみました。確かに問題なくできるようです。
posted by onitoge at 22:56| Comment(0) | 日記

2018年03月24日

松浦武四郎の道 旭川〜新得間

松浦武四郎が蝦夷地を北海道と命名してから150年となる今年、旭川から新得まで約110キロの古道を4週連続4回に分けて歩くイベントが行われています。
https://hokkaido150.jp/mirai/2018/02/28/post-2469/
まずは第1回の神居古潭〜上川神社間に参加してきました。いまこの区画をあえて歩くことはまずないと思いますが、明治31年に鉄道が旭川に延びる前、旭川から奥に向かう開拓者たちはすべて神居古潭を歩いて通ったわけで、神居古潭をどう越えたのか非常に興味のあるところです。
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神居古潭神社前に7時30分集合。ちょうど芦別行きの路線バスで行ける時間でした。食事処の遊舎さんがミーティングに場所を提供してくださりました。
集まったのは事務局のトカチルゥチシを歩く会の山谷さん、郷土史研究家の高橋基さん、ほか共催の十勝岳ジオパーク推進協議会から1名、旭川市教育委員会から1名、上富良野町広報担当1名、メディア関係3名と私の計9名で、何と一般の参加者は私だけでした。
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実際に歩いたのは7名。富良野方面に入植した人も、距離的に近い空知川コースをとらず、歌志内まで鉄道で来たあと、旭川の神居古潭まで迂回しているわけですが、たしかに難所とはいえ、そう困難ではない道であるように思いました。
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松浦武四郎がどこを通って旭川に入ったかは一大問題のはずですが、実は近年まで詳細なルート解明がなされていなかったようで、残された記録の解釈によって、いくつかの説があるそうです。今日の検証によって、ルート推定の確度が高まることを期待します。
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春志内トンネルの脇からいよいよ山越えの区間に入ります。この区間はペンケアソナイ山道と呼ばれ、1858年に松浦武四郎がアイヌの案内で通った後、1886年に上川仮新道として開削され、岩村通俊や永山武四郎も歩いたと言われています。
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山道を抜けて台場からしばらく国道を歩き、忠別太大番屋跡の碑を見学。上川地方で最初の和人の建物と言われ、松浦武四郎の記録にもあります。
その後、ペペツと称された美瑛川下流の堤防をしばらく歩き、神楽岡にあったというクーチンコロ宅跡、シリコツネ宅跡を偲びつつ、上川神社へ。約23kmの道のりでした。

松浦武四郎は当時全道を股にかけて活躍していたアイヌの人たちを案内人としてこれらの道を歩いていたわけで、何百年という歴史のある道でもあります。鉄道や高速道路は百年後どうなっているかわかりませんが、松浦武四郎の歩いた道は人類が絶えない限り今後も残るでしょう。私たちにはこれらの道を伝えていく責任があります。
しかし、これまで定説とされてきた古道のルートやアイヌ語の由来も、実際に歩いてみると疑問が多いと言います。山谷さんは、「定説は常に検証が必要であり、検証しないのは将来の世代から見れば今の時代の怠慢」とおっしゃっていました。その言葉どおり、アイヌ語の由来や地形を丁寧に読み解くことで、これまでとまったく違う見方で旭川を見ることができた一日になりました。

この日の模様は十勝毎日新聞が伝えています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180318-00010001-kachimai-hok
posted by onitoge at 00:07| Comment(2) | 日記

2018年03月21日

鬼峠フォーラム2018終わりました

3月10日〜11日、12回目となる鬼峠フォーラムを開催しました。
今年はいろいろな事情があって、やるやらないの話しがありましたが、12回続いたことは、ニニウの一つの歴史になったのかなと思います。
もっともニニウにもいくつものニニウがあって、住民にとってのニニウ、工事関係者にとってのニニウなどそれぞれのニニウがあり、最近では、キャンプ場の人気が再興してまた新しいニニウの世界を作っているように思います。
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そうしたそれぞれのニニウをつないでいきたいという思いがあって、今年は建築家の下村憲一さんをお招きして講演会を実施しました。下村さんは1980年代前半に計画されたニニウ自然の国構想の立案者、占冠村サイクリングターミナル(1984年開業、2013年解体)の設計者であり、その後もしばらく「ニニウの会」のメンバーとして山菜ツアーなどでニニウに関わってこられたとのことです。
村役場の担当者として当時ニニウ自然の国構想に関わった中村博前村長にも参加をいただき、ニニウ自然の国構想が生まれた経緯や、なぜニニウでサイクリングだったのかなど、非常に興味深いお話を伺うことができました。
当時、トマムリゾートの開発対応に追われる中、なぜニニウにこれだけの力が注がれたのかというのが第一の疑問でしたが、下村さんは「みんなが大事にしたいと思う基盤がニニウにはあるのではないか」とおっしゃっていました。そういうことだったのかと、ニニウへの理解が一段深まった気がしました。
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コミュニティセンター和室での交流会のあと地域カフェ「ぼっこてぶろ」にて。ここにはサイクリングターミナル解体前に有志が持ち出した椅子が置かれています。建物はなくなっても、椅子がこうして使われているのを見てもらえるといいねなどと話していたのは昨冬のことですが、それが現実となった夢のような一幕でした。椅子はデザイナーの高橋三太郎氏の作品だそうです。
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翌日は初めてニニウ側から2代目鬼峠を越えるという企画でした。ニニウ神社の雪下ろしは予定どおり実施。9日は占冠で道の駅が床上浸水するような大雨があり、神社のあたりから生々しい鉄砲水の跡があったのですが、ニニウ四の橋から400m地点で雪崩跡に遭遇し、その先は安全が確保できないと判断して、引き返すこととなりました。これでまた来年再挑戦しないといけないことになりましたから、課題を持って終われたことはむしろ良かったように思います。
posted by onitoge at 13:05| Comment(0) | 日記