2018年06月17日

風間健介さんを悼む

写真家の風間健介さんがなくなったと推定されている日から早くも1年が経ちました。

風間さんを知ったのは20年ほど前のことで、当時「グループ炭坑夫」を名乗り、アルテピアッツァのイベントで風間さんの周りに若い人たちがたくさんいるのを見て、仲間がいる人なんだと誤解してしまったのですが、基本的に生涯孤独の人だったようです。

ホームページのリンクの連絡を機に、何度かメールでやり取りすることがあり、就職したばかりの私のことを気遣うメールをもらったりもしました。
まめにメールをくださった真意はわかりませんが、周りにはなかなか理解されない活動を続ける中で、インターネットの可能性を信じていたことは確かだと思います。死の直前まで、ブログを毎日のように更新されていました。

実際に会ったのは1度だけで2003年秋の写真展のときだったと思いますが、居合わせたテレビ局のディレクターをそっちのけにして、会場のパイプ椅子で1時間ほど熱心に話をしてくださいました。
そのとき既に体は悪そうで、将来こういう最期を迎えられるのは想像に難くなく、それだけに孤独死を遂げられたのはショックな出来事でした。

お会いしたとき、近い将来賞を取るので、そうしたら変わるとおっしゃっていたのが印象に残っています。想像ですが、結局賞を取っても何も変わらなかったのではないでしょうか。
まもなく、夕張を去られたと人づてに聞きましたが、その後は疎遠になってしまい、亡くなったことは新聞報道で知りました。

私もこれまで定職についてきた分、風間さんよりは要領よく生きてきたかもしれませんが、根本的なところでは同志であるような気がしています。それだけに、風間さんが孤独死という形で最期を遂げられたことは、自分の将来を見ているようで恐怖です。
もっとも、「夕張」という立派な写真集を残したのですから、十分な仕事をされたはずですが、ブログを見ると晩年はずいぶん精神的に苦しんでいたように見えます。
死の直前になって「贅沢は言わないが一度でいいから結婚したかった」と繰り返し書いているのも、あれほど孤高の人が最後はこうなるのかと複雑な思いがします。
風間さんの一周忌にあたりご冥福をお祈りするとともに、何とか最期が同じようなことにならないよう努力していくほかありません。
posted by onitoge at 21:24| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
空知は昔は炭鉱で栄えていたのはよく知っております。岩見沢や美唄や砂川や滝川なんかは炭鉱地帯への中継地点として栄えていたのはよく知ってます。炭鉱は仕事としてはとても魅力的でしたが、一度爆発事故があると死者も多かったから労災とかで莫大なお金もかかって結果的には閉山せざるを得なかったのはやはり坑内掘りでなくはじめから露天掘りで石炭を掘っていた方が良かったのかなと今さらながら痛感しますね。東北の山形の人達や宮城の人達なんかは口べらしで北海道の炭鉱に来た人も多かったようですが、危険な所もあったけど仕事としてはとても魅力的だったから山形や宮城の人達は空知にも働きに来たのかなと感じますね。今は炭鉱は露天掘りが主流ですが、安全に石炭を掘るためには露天掘りが理想的だと思います。坑内掘りだとガスが充満して少しでも火の気があると爆発する可能性があるから露天掘りだとガスが外に完全に出て火の気があっても余程のことが無い限り安心だから露天掘りで石炭を掘っているのかなと感じますね、
Posted by 高橋MAN at 2018年07月27日 13:09
炭鉱は事故があった時代を知っている人と、その後の炭鉱だけ知っている人と、そもそも炭鉱の現役時代を知らない人で、まったく見方が異なるように思います。
いま空知の町を訪ねたり、イベントなどを見ても、当時の炭鉱を偲ばせるものがほとんどありませんが、盆踊りだけは形として炭鉱にしかない独特のものを受け継いでいるように思います。観光で見に行くものではありませんが、もっと知られてもよいと思います。例えば、しかるべき写真家がきちんと記録するとか、演劇として再現するとか(空知の炭鉱町を舞台にしたある演劇で、盆踊りのシーンが実際の盆踊りとかけ離れていたのにはがっかりしました)ということがあってよいと思います。
Posted by onitoge at 2018年07月31日 22:39
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