
国土地理院のホームページで閲覧もできるのですが,更新されている場合は最新版しか閲覧できないので,設置当初のものを求めました。付近の三角点はおおむね大正4年に一斉に選点,測量がされています。

鬼峠近傍の三角点は,「新入峠」という名称で,大正4年に設置されていることはわかっていたのですが,点の記によって新たにわかったのは,その当時,鬼峠自体を測量隊は新入峠と称していたらしいこと。
5万分の1地形図の初版刊行は大正8年で,その時点では鬼峠の名がついており,おそらく測量後の役場からの聞き取りなどにより地図に峠の名が記されたものと思いますが,そのあたりの経緯はまったくわかりません。
一方で,同じく大正4年に,金山峠付近で「鬼ノ沢」という三角点が設置されています。
鬼峠は尾根峠の転訛ではないかとの俗説がありますが,今年の鬼峠フォーラムで,尾根峠があったとすれば,谷を登る峠もなければおかしいという指摘がありました。「鬼ノ沢」という地名もあったということで,やはり鬼峠ははじめから鬼峠だったのだろうという印象を強くしました。
その他,清風山(セイフウザン)信号場の清風山にキヨカゼヤマ,占冠(シムカップ)にシメカップと読み仮名が振られているのも興味深いです。赤岩南方の三千尺という三角点の名称も,だれが考えたのか妙です。