2018年12月30日

年の瀬

貧しかった昔においても、年の瀬や正月の買い物には、買い物する喜びがあったはずですが、最近では買物の喜びを感じることのできる店は本当に少なくなりました。その中で、銀座通り商店街は、量販店や全国系列の店ではない本来の店が残っています。年の瀬の賑わいを見に今日出かけてきました。
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15丁目側では、最近銀座デパート、第一市場、銀座ストアーが相次いでなくなり、センタービル下の商店を残すのみとなりました。
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14丁目側の食品市場ニュー銀座。年の瀬の買い出しだけは旭川の銀座通りに来るという人も道北一円にかつてはたくさんいたと言いますが、今ではどのくらいいるのでしょうか。

旭川も西武がなくなって2年が経ちましたが、結局、いまなお西武に代わるものはできていません。丸井今井と棒二森屋が残り、シエスタハコダテなど新しい商業施設でできている函館との違いは何でしょうか。かろうじて西武の受け皿となっているのは、フィールとオクノ、三番館、アルティモールくらいでしょうか。
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隣町の東神楽にあるアルティモール。今日久しぶりに行ってみたら、空きテナントがいくつかあってこちらも厳しそうですが、旭川近郊では数少ない非日常感のある商業施設です。
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ミスタードーナツも入っていて、懐かしいなと思って店内で食べてみました。旭川の買物公園のミスタードーナツには昭和の時代によく行ってましたが、平成になってからミスタードーナツに入るのは初めてかもしれません。あのころはガラスケースの前にドーナツを求める人の列が常に何本もできていたものですが、いまでは行列ができるということもなく、これも寂しいものです。
posted by onitoge at 21:56| Comment(0) | 日記

2018年12月16日

産炭地研究シンポジウム

昨日、赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設で開催された「産炭地研究シンポジウム−産炭地研究、その成果と展望−」に参加してきました。
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産炭地関連の講演行事は、しばらくご無沙汰をしていましたが、今回は少し視点が異なるような気がして、聞きに行ってみることにしました。
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メインは元日本炭鉱労働組合事務局長の高橋由紀雄さんのお話。北海道で最後の頃まで残った炭鉱が次々に閉山していく時代に役員を務めた方だけに、想像を絶する苦労があったものと思いますが、切れ味の良く淡々と1950年以来の炭労の歴史を語ってくださいました。質問をするにもテーマが重すぎますが、唯一会場から出た質問が、相次ぐ大事故に対して炭労はどう向き合っていたのかということ。これに対しても非常に考えさせられる答えをされていたと思います。北大の平井さんのお話も、現在の炭鉱遺産研究の意義や課題がわかり良かったです。
参加者は多くが地元の人で、7月にガイダンス施設がオープンして以来最高という80名が来場したとのことです。空知の旧産炭地の中でも構造物的には最も物が残っていないと言われる赤平市が、結局いまこうした活動がいちばん盛んに行われているのは赤平には人が残ったということなのでしょう。
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毎週末にラットアップされるようになり賑わいを取り戻した住友赤平炭鉱の立坑周辺。
炭鉱遺産を語るには外の視点と内の視点がありますが、20年ほど前の炭鉱遺産を巡る状況を思い返してみると、当時は内側からの視点で語るにはまだ時間が早すぎたということなのでしょう。
ここにきて、ようやく外の視点と内の視点の接点が出てきたように思います。その中でまだまだ絡まっている糸を解きほぐすのが大変な状況にあるというお話がありましたが、それを解きほぐしていけるかは、これからの数年にかかっていると思いました。
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赤平駅前の大正8年創業という布施呉服店は12月24日で閉店だそうです。10年前に制作された「0からのRE-スタート―あの火を未来へ―」という映画に出ていたのが思い出されます。
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雪に映える商店の明かりは、この時期の北海道ならではの光景で、いろいろな街の様子を写真に撮っておきたいと思っていますが、なかなか行けないまま、どんどん店が閉まっていきます。昭和そのままの店構えが印象的だった山平菓子舗も12/10をもって閉店とのことでした。
posted by onitoge at 12:57| 日記