2014年12月23日

三笠市民会館の緞帳

北海盆唄全国大会を観覧したことのある方はご存知と思いますが,三笠市民会館の緞帳は住友奔別鉱,北炭幌内鉱の2社が名を連ねており,大変印象的な絵柄です。
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この緞帳ですが,今年行われている改修工事によって,廃棄されることになったそうです。近郊の市町にこういう歴史ある緞帳があといくつ残っているのかわかりませんが,現役で使われ続けてきた炭鉱の文化遺産がなくなるのは寂しいことです。
posted by onitoge at 21:59| Comment(0) | 日記

2014年12月20日

ニニウと北海盆唄(その3)

朝日新聞に記事が載ったのは,11/28と12/1の朝日新聞夕刊でした。全国版の掲載ですが,郡部の統合版には掲載があるのか不明です。
実は記事のことを知る前からお願いしてあったのですが,今日,岩見沢の吉田源鵬先生をお訪ねして,お話を伺ってきました。
要約としては,次のようなことです。
・昭和30年,学芸大がニニウを調査するにあたり,農業の専門として声がかかった。
・5名の調査メンバーが数戸ずつ分担して,調査の依頼に歩いたが,農繁期のため歓迎されなかった。
・ある農家で夜,主人が焼酎を飲み唄いだした民謡が,たまたま吉田先生が知っていた越中おわら節だった。それで意気投合し,調査に協力してもらえるようになった。
・このことで,地域の人と打ち解けるには民謡が大事だと感じ,調査から戻ってすぐに民謡の先生を訪ねたとのことです。
・そして,民謡の研究者となり,平成4年に北海盆唄の発祥の地は三笠であると発表するに至った。

道学芸大のニニウ調査のことは,私が学生のころから知っていましたし,北海盆唄の専門家として吉田先生のことも何年も前から知っていました。しかし,この2つの事柄がつながっているのを知ったのは,今年の8月にたまたまあるブログで,夕張での先生の講演会のことを知ったのがきっかけで,まったくの偶然でした。
そもそも,吉田先生がニニウに調査に入ったのも偶然,そこで聞いた民謡が越中おわら節だったのも偶然で,いくつもの偶然が重なっています。
しかし,これだけの偶然のできごとがあるということは,世の中には,見出されないままの縁がどれくらいあるのだろうか思います。

北海盆唄についても,いろいろお聞きしました。平成5年の「北海盆唄考」で,ひととおりの結論が出ているのかと思ったら,まだまだ未解明なことがあり,現在も研究中とのことでした。夕張の講演で「北海盆唄考」には載っていない話がいくつか聞けたのはそういうわけでした。
posted by onitoge at 20:29| Comment(0) | 日記

2014年12月16日

ニニウと北海盆唄(その2)

吉田先生のニニウと北海盆唄の話,先日の朝日新聞に記事が載ったようです。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11484972.html
全文が読めないので,近日図書館で読んでみたいと思いますが,ニニウというところは,本当に大変な影響をいろいろな人に与えているのだなと,改めて思いました。

堀淳一著『北海道地図の中の鉄路』が今月出版されています。6000円という価格なりに力が入っています。個人的に富良野線から始まっているのが素晴らしいです。堀先生の本で,なぜ今までニニウが取り上げられていないのか不思議に思っていましたが,石勝線の章で「歩いてみたいと思いながら,まだ望みを果たしていない」と書かれていました。
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posted by onitoge at 23:33| Comment(0) | 日記