2014年08月17日

ニニウと北海盆唄

いろいろ事情が急に変わりまして,盆の入り後,肝心の盆踊りには行けない日が続いておりました。
ただ,今日はどうしても行きたい盆踊り関連のイベントがあり夕張まで行ってきました。

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昨年の7月から,夕張教会を会場として,「夕張の歴史を見聞きする会」による鹿ノ谷ゼミナール(鹿ゼミ)が月1回開催されています。たまたま運よく知ったのですが,今日はその13回目で,テーマは,
「炭鉱の盆踊り唄考」〜北海道の炭坑節「北海盆歌」のはじまり〜
話題提供は,北海道教育大学名誉教授の吉田昭穂(源鵬)先生です。
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1992年に,三笠の幾春別で唄われていたベッチョ節が北海盆唄のルーツであると発表した先生で,今では有名な三笠の盆踊りや北海盆唄全国大会も,先生の学説を受けて実施されているものです。

冒頭,先生がなぜ民謡に関わることになったかというお話の中で,昭和30年にニニウに調査に入ったとき,部落の人から民謡を聞き,地元の人の中に入って話を聞くには,民謡を歌えなければだめだと思って始めたのだとのこと。いきなりニニウの話が出てきて驚きました。
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実は,個人的にこちらのほうに興味があったのですが,先生は道学芸大のニニウの調査団に参加されています。ゼミのあと,伺ったところでは,鬼峠も5回くらい越えたとのこと。
先生が当時ニニウに行かなければ,今の北海盆唄の隆盛もなかったかもしれないわけで,まったく運命的なものを感じます。

北海盆唄に話を戻しますと,都会型と炭鉱型の違いついて強調されていました。先生の著書の「いいたかふんじゃん北海盆唄考」でいうと,都会型がI型,炭鉱型がIII型の一類型になろうかと思います。I型がある意味簡略化されたのがIII型という印象も持っていましたが,伸ばし方,間の取り方,掛け声,それぞれに炭鉱型ならではの意味合いがあって,もっと積極的に都会型とは違う炭鉱型の唄い方としてとらえてよいというようなことでありました。

それから気になっていたことで,小樽高島の越後盆踊り,あるいは根室盆唄と北海盆唄とのつながりですが,これらは別物であろうと明言されていました。それぞれ,内地から道内に伝わり,古い形を残して今に伝えられたものの一つととらえられるのではないかとのこと。

また,参考として昭和13年の夕張の盆踊りの映像が上映されましたが,振り付けは,現在も歌志内で見られるべっちょ踊りとほぼ同じでした。なぜ歌志内のみ古い形の踊りが残ったのか不思議ですが,会場にいた夕張の方から,北海よされ節が入ってきたときに,踊りもおとなしいものに変わったという発言がありました。北海盆唄よりも前に,北海よされ節が道内を席巻した時代も確かにあったようで,とすれば,よされ節がどの程度その地域に入ったかということも,べっちょ踊りが今に残っているかどうかに関わりがあるのかもしれません。
posted by onitoge at 01:20| Comment(0) | 日記