最近,本屋さんに行くと,吉村昭の『三陸海岸大津波』という文庫本が,どっさりと積まれています。

日本は過去に何度も大津波に遭い,そのたびに立ち上がってきたわけで,そうした過去の歴史を知ることは心の支えになるような気がします。

この機会に,『十勝岳爆発災害志』を購入しました。北海道庁学務部社会課内に置かれた十勝岳爆発罹災救済会が,爆発の3年後に刊行した記録書で,著者は明らかにされていませんが,公式の記録書でありながら小説のように訴えかけてくるものがあります。
小説『続泥流地帯』でも書かれているように,大正15年の十勝岳爆発による泥流で,田畑が硫黄を含む泥土で埋め尽くされた上富良野村は,復興か放棄かで揺れ動きます。
私の家は,そのとき被災した土地と家を手放し,移住するという選択をしました。このことについて,ずっと私は引っかかっていたのですが,当時を知る大叔母に話を聞いたところ,子供だったので父親の真意はわからないとしながらも,
・当時曾祖父が公職にあったがために,復興派と放棄派の抗争に巻き込まれて嫌気がさしたのではないか
・もともと曾祖父は馬が好きで牧場をやりたいという夢を持っていたので,その夢を実現するために思い切って移住を決断したのではないか
とのことでした。夢を実現するための移住だったことを知り,救われたような気がしました。
復興派と放棄派の抗争はその後,60年以上にわたり尾を引いたと言われています。これから三陸海岸の各地でも,復興の話が出てくると思いますが,なかなか難しい問題になるのではないでしょうか。
「津波が来るからといって,宝の海を捨てられるものか」(三陸海岸大津波,p.191)
「復興はソロバンでなく愛郷心の問題である」(上富良野町史,p.205)
とは,印象的な言葉ですが,一方で復興はそんな単純なものではないとも思います。ですが,結局はここが一番重要なのではないかと思います。
特に,北海道は移民の地で愛郷心に乏しいと言われますが,大正の十勝岳爆発では入植後30年足らずにして
愛郷心から復興を成し遂げたのは注目すべきと思います。
まだ考えがまとまりませんが,震災が起きて以降,日本人にとってふるさととはなんなのかということがずっと気になっています。
posted by onitoge at 23:30|
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